アバター増設者の人権がネットの荒野を行く
これはVtuber、VライバーあるいはVタレントの人権について考えるための記事である。
Vtuberという言葉のとらえ方が人によってそれぞれ違ってきているので、「アバター増設者」という言葉を定義して考えていく。
アバター増設者とは?
アバター増設者とは、現実の肉体の他にネット世界での新たな外見としてアバターを増設した人の事である。
アバター増設者の中にはアバターに付随する設定として現実とは関係ない設定を追加で増設している人もいる。
このアバターを用いて動画を撮影しYoutube等の動画サイトに動画を投稿していればVtuberであると言えるし、アバターを利用したタレント活動をしていればVタレントであると言える。
アバター増設者の持つ現実の肉体部分には、人類の長年の努力のおかげで基本的人権が付与されているが、アバターの部分に関してはまだ議論が未発達である。
アニメキャラに人権はない。著作権はある。
アバター増設者の人権を語る前に、比較対象としてアニメキャラクターの人権について考える。
法的に言えばアニメキャラに人権は無く、著作権だけがある。
作り手によって考えられ描写された人格はあるかもしれないが、その人格には人権が無いので常に蹂躙される危険に晒されているし、それは罪にならない。
アニメキャラの人格が保護される・されないのパターンには主に3種類あるので、単純化のためにそのキャラが凌辱される場合を考えてパターン分けしていく。
1:凌辱されることを前提に作られたキャラ
作者もグルで、キャラが凌辱にさらされることを前提に、むしろ凌辱するために考えられたキャラクターのことであり、オリジナルのエロゲーに多く登場する。
例えば「退魔忍アサギ」シリーズに出てくる退魔忍たちは全てこのカテゴリであり、キャラに備わる戦闘力の高さや美貌、絶妙なバカさ加減も全て凌辱シーンのためにある。
このパターンではキャラクターの人格は誰にも保護してもらえないと言って過言ではない。
2:凌辱前提ではないが作り手の見えない範囲では黙認されているキャラ
多くのアニメキャラはこのパターンである。
公式で凌辱されているところこそ見ることは無いだろうが、裏ではそれはもう色々されていると考えていいだろう。
ただ、公式として見せている範囲では健全に守られているので、公式だけを追っている人からすると「アニメキャラにも人格があって大切にされるんだ」という勘違いを起こす場合もある。
しかも、このパターンでもキャラ改変から保護されるわけはなく、キャラの維持はあくまで企業努力の範囲内である。
3:凌辱するのを許されていないキャラ
稀にだがこのパターンもある。
この場合作り手(著作者)がキャラクターの人格を保護すべく、著作権法の力が及ぶ範囲内で行動していくことになる。
キャラクターの人格を守るためには人権宣言は役に立たない。
アバターにまだ人権は無い。著作権はある。
さて、本題であるアバター増設者の人権についてはどうか?
まずアバター増設者の人権の内、現実の肉体と精神については、今までの人間と同じなので当然保護されている。
しかし、増設されたアバターと設定に関しては未だに著作権法の範囲内で守っていくほかないだろう。
アバターは著作物なので、イラストレーター、3Dモデラ―、企業と著作権の在り処が複雑なのでこれまた大変である。
それを踏まえた上で先ほどのアニメキャラの保護のされ方に照らしていくと、一時期話題になったVtuberパンツチャレンジは1のパターンでもはや誰にも守れないし、Vtuberのエログロ絵に関しても2か3のパターンで保護自体は大変で骨が折れる。
また、アバターをメガネの延長線上のようなものとして考えるなら器物損壊罪を問うようなノリで著作権法を適用させていくことになるし、「あくまでアバターも自分」というのであれば人権を問うノリで著作権法を適用していくことになる。
ここで、重要なことにリスナー、ファン側のとる反応についてがある。
Vtuber、Vタレント及びその運営こそがアバターの取り扱いの方針を決める権利を持つので、その決定にファンは従う必要がある。
もしもその決定に不服を持つようであっても「そのVtuberを好きになってしまったあなたの失敗でしたね」としか言えない。
おまけ:そもそも人権とは?
自称フェミニストの暴走、難癖による混乱や、日本人が権利という考え方をイマイチ理解するのが下手というのもあり人権について腑に落ちている日本人は少ないと思われる。
今や、FGOで攻略に使える超強力なサーヴァントを所持していることを指して人権などと呼ばれてしまう始末である。
というわけで、大胆な意訳になってしまうが、私なりの日本的な解釈を述べると……
基本的人権とは「法律の許す範囲内でどれほど情けない行いをしても後ろ指を指される謂われは無い」という必要最低限の膨大なる名誉のことである。
つまり基本的人権の尊重とは人にはなるべく多く敬意を払うべしということだ。
最終的には、人権について貴方なりの言い換えを見つけることが人権の理解につながるだろう。